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武道カラテ稽古日記

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実戦(競技)の難しさ

 先日深夜にM派の世界大会を観ました。
私の元の弟子も選手として出場していましたので、少々気になりまして…。結果は上位4名全て外国勢、日本人はベスト8に一人だけ、有望選手達もベスト16に残れるか否かの結果でした。

 批評することは簡単な事ですが、戦った選手達(特に日本人)は、当然ですが負ける気で試合をしている訳も無く、そのことに関してどうのこうの批判する事は避けたいと思っています。

 ただし、私の考える組手(競技論)の確からしさを証明してしまっていることに何か遣る瀬ない気もしないでもありません。
「骨格、筋力に勝れている者(外国勢)が、同等の組手をマスターしたら、真正面からいって適う確率は限りなく低い」
 今回の日本人選手たちは、当然、気力・体力・技も勝れた者達である。しかし「術がなさ過ぎた」と断言出来る。
 何故、体格に劣る者(外人)に対し、日本人と戦う時と同じ戦い方間の取り方、調子で戦うのか…「策がなさ過ぎる」。

 突き蹴りは、漫然と出していいモノではない。
相手の調子を感じ、出さねば効くものも効かない道理を知らなければ、相手を制する事は、かなわない。

体力があるからと言って、相手の打突を受け続けていては、知らず知らずに身体は「固まって」しまい、自分の次の「動き」が制約され、後手後手に回ってしまい、次第相手に主導権を握られてしまう。(今回の日本人選手の大部分が、そのようなケース)

 構えにしても、私がいつも提唱しているように「意味のない開いた手」からの攻防は、突きや受けの精度・威力に著しい欠陥を見せるものでしかない。開いた手から握り込む突きは、一瞬の動作のズレを生むもの。余程鍛錬していかなくては、使えきれないことを彼らは、教えられていなかったのか…。
 元々、開いた手の構えは、受けから蹴り技主体の技術である。
また、護身に相当する相手の攻撃を巻き取り、受け崩す行為に他ならない。つまり、多大な攻撃が交錯する競技においては、不向きであるということ。

 柔らかく握り、そこから一気に握り込み打突を加える事。
そして、それを造り上げているモノ、無意識に出来るようにするために、私達は「基本」を大事とする。
 その考え方を真摯に追求しているのは…残念ながら画面を見る限り「外国勢」であったと私は、感じてならなかった。

厳しい言い方ではあるが、ふだんからいい加減な「基本」をやっている者が、より良い「打突」等、出来る訳がない。
 子供達にも、いつも言っていることである。
それを組手(競技)に実践すること…確かに難しい事ではある。
しかし、選手、または上級者だからこそ、それは実践しなくてはならないことだと「それ」を眺めながらそう感じておりました。

 辛く、悲嘆しているのは、当の本人達…。
責めを負うことも、覚悟し、改めて奮起してもらいたいものです。
試合で負けて得るものをいかに活かすか。
それを心しなくて「武」は、始まりません。
by katsumi-okuda | 2007-11-19 18:13 | 稽古日誌