2007年 09月 28日
試合・大会シーズンを迎えて
今秋日曜は、私達の練成会が、行われます。
私達の団体の方向性を一つずつ確かめていくための試合・大会である今回は、特に位置づけて行いたいと考えています。 試合に出場する選手そしてその運営に関わる人…どちらも大変だと思いますが、その一つ一つが自身の糧になるものと確信し頑張ってもらいたいと思います。 ということで…今日は試合を想定しての連続組手(計20ラウンド)を敢行…ふだんから試合に出られるだけの体力と技量を保つ事も大切な意識だと私達は考えておりますため…しかし、流石に稽古後半の連続組手は、キツかったですね。 ちなみに一般と壮年部で選手としての参加される人達の基本的な能力とは「スタミナ」「打たれ強さ」が原則となります。 それなくして試合は、難しいモノになってしまうことを忘れてはなりません。そして、試合直前では「いかに平生通り戦えるか」を自身に問い質すことが必要となります。持てる体力と技量を最大限に使う為に「心の統制」は必要不可欠であり、どんなに体力が疲弊しても自身の意識を正しく保つ事が必要。 また型の試合に於いても「どこまで正しく動けるか」「意識せずにその型に求められるモノをどこまで表演出来るか」 「一万回正しくても一万一回目に間違えたらお終いと思いなさい」 私は、子供達によくそんな話しをします。 特に子供にとって型をやる意味とは「与えられたことをどれだけ、そしていつでも正しく出来るか」という意識を育てる事。ひいては、カラテに限らず、いろいろなことに応用出来る「頭」と「心」を育む事が第一である。何も難しい型をたくさん覚えたからエラいのではない。そこを指導する者や大人達が間違えてしまっては、何にもならない。ただ器用な子供、ただ勝ち負けに拘る子供を育ててはならない。子供は、カラテの所作を通じて「徳」を積めるようにしていかなくてはならない。 ここのところ、子供達にこんな話しをしています。 「みんな、気を配ると言う言葉を知っているか!?(残念ながら、あまりにも多くの子供達は知らなかった!!)自分のことばかり考えるのではなく、周りの人が何を考えているか、何を必要としているか感じなくてはならない。そうすることも、相手をおいてやる組手でも大切な意識になっていく。例えばチームワークが大切な野球やサッカーでは、尚更大切なはず!!こころして考えながら稽古しなくてはいけないし、ふだんの生活から意識しなくてはならないんだ。難しいと思うけど、自身の為だから心して掛かる事!」 特に子供達にとって試合とは、ただの体力比べになってはいけない。何を学ぶことが出来るか、学ばす事が出来るか。 言葉だけの武道教育になってはならない。ただ殴り合い蹴り合いをして相手を思いやる気持、痛みを知ること等…言うのは簡単だが、そんなに容易に子供達は理解出来るモノではない。正しい考えを簡潔に示さなくては試合・大会の意味は半減するものと自戒し、指導する大人が実践しなくてはならない。 私は、自身の団体のカラテの理念の一つをそう考えている。 教育としての武道、競技としての武道・武術、自己確立(健康・意識昂揚等)としての武道…私は、それを提唱していきたいと念願しております。 …実際に言うは容易、行うは難し…です。 それだけに、やり続ける意味があると思ってもいます。
by katsumi-okuda
| 2007-09-28 01:06
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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