2006年 12月 06日
組手の難しさ…そのいろいろ
痛いのは、嫌です。
打突によるモノは、折れようが外れようが結構平気なのですが… 内蔵や頭痛そして歯痛等…今、歯の治療中なのですが、やはりこれも競技者の「性」なのでしょうか、一年に一回メンテナンスしないと、ガタガタになってしまい…結果、治療に痛い思いをします。 先日、水戸のSさんから資料用としていくつかのDVDを頂き、見ておりました…感想としては…「う〜む」と唸ってしまうようなものばかり。 特に素手による顔面攻撃を想定したモノという触れ込みのものでしたが、どれもその完成・理想にはほど遠いと感じました。顔面が有りならボクシングやキック・ムエタイのほうが、技術的にもそれは完成されていると思われます。やっている人たちにとって「その世界」での約束事としてのみ通用していることであって、いざ競技となった場合、それは亜流のキックでありシュートボクシングまがいのモノにしか映らず、残念ながら際物にしか思えません。 創始者大山倍逹は、極真「競技化創世記」の折、さんざん「顔面有り」等を研究したそうです(私も、実際にお聞きしました)が、結論として「競技として選手の安全性・普及化等においてその試みは、遠ざけられフルコンタクト空手を中心とし…」と言い残されております。 顔面攻撃を含む「限りなく実戦=喧嘩」に近づけようとした場合、それは競技としては成り立たない。本当に「実戦」と言うのであれば、すべての攻防を許さねばならない。 「武術」とは「死闘」であり、生死をかけた戦いの術である。 いくら、それを修める者が希求しようと現代社会においてそれは、到底「無理・受け入れられない事」であると言わざるを得ない。 養神館合気道、塩田先生が仰っていた言葉です。 「なぜ合気道が試合が無いかって!?試合にしたら技の制限が生まれる。そのことで合気道が持つ本来の武道性や技が損なわれる事になるからだよ。それでも、いいなら別に構わないが…本来の武道の意味は、競技だけじゃない。そのことを忘れちゃいけない」 含蓄にとんだ言葉です。 私たちは、競技としてのカラテを追求しその中に独自の武道性・武術力を織り込む為に稽古・鍛錬したいと思っています。 大山総裁は、よくこう仰っていました。 「顔面を叩く叩かないの問題じゃないょ!!どこを叩いたって一発で相手を倒せる突きや蹴りを持つ事ョ!!それが出来なくて何のカラテなの!!」私は、それを追求します。それこそが真に継承する者の努めですから…。
by katsumi-okuda
| 2006-12-06 15:47
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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