2006年 11月 19日
子供を思うこと
今世間を騒がしている問題…「いじめ」そのことについて私も人を教える身として人ごとではいられません。
ただ、それに対して声だかに叫ぶ愚は避けたいと思っています。 何が原因で何が対処法だと論じても、窮しているのは当の本人たちなのですから。私も、小学校の頃、病弱のため半分程しか通う事が出来ませんでした。結果、人とのコミュニケーションの取り方がわからず、それが元で「いじめ」にあったことがあります。生来の頑固者で激情型の当時の自分は、それでも何とか難を逃れた事を覚えています。それにしても、その対処法は、その当時私自身にとって有効な方法論であって万人に適した事では決してありません。この場合の経験論は、当てには出来ません。 ただ、今、人の親として考えられる事の最善の法の一つとして「大人が率先して何かを行うこと」だと確信しております。 人に対して礼を尽くす、相手を尊重し敬う、規範を尊ぶ…人として当然あるべき姿を大人である私たちが示す事…そうすることで例え形から子供達が、入ったとしても「人を敬い相手を尊重し慈しむ心」を養うことになるものだと確信しております。 私たちのカラテは「痛み」を伴います。 相手を攻めるにしても守るにしても「痛み」はついて回ります。 そのことを実体験して初めて知ることも多くあります。 下の者は上の者を見て学び、上の者は下の者の規範としてその姿を磨く…その間において互いを思いやる心を自然に身に付けていくことに「武」の大義の一つがあります。 辛い事、厳しい事に耐えてこそ、人は人となる…私はそう信じて疑いません。辛い事を避けてばかりでは、とても社会に通用するとは思えません。 そして、その機会をいかに真剣に大人も、そして親も共に学ぶかが、大切だと考えております。親がやらない大人が率先してやらぬ事をことをどうして子に強いる事が、出来るでしょうか。そして、どんなことがあっても、まず初めに親が子を見定めなくては何も始まらないと思っています。そのためにも言葉例え少なくとも、言葉を交わし、共に悩みそして喜ぶ事をしなくてはならないと思うばかりです。今の「流行病」のような「いじめ」の状況…早く収まる事を祈るばかりです。そして、私たち大人は、より一層範を正し過ごさねばならないと深慮してなりません。
by katsumi-okuda
| 2006-11-19 00:23
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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