2006年 09月 26日
試合後記…判定のあり方
大会を終えて応援にきていた人たちの声として考えさせられたことが、ありました。
特に少年部の試合の判定について抗議している、というか非難している声があったそうです。 「審判がちゃんと見ていない」「判定がおかしい」等。 私に言わせれば、他人(自前開催ではない)の大会に出させて頂いている以上、その判定に文句を言う筋合いはないと思っています。仮に判定に関して見ている自分(選手も含め)が、おかしいと感じても、それだけの試合しか出来なかった自分を責めます。 「外様」として出場する試合全て、試合内容で圧倒的な「優勢」か「一本勝ち」以外に自身の「勝ち」はないものだと考えています。 これは、私たち道場生全員、出場する選手全員の総意であり、ポリシーでもあります。 判定に文句を言う、殊更に相手の「反則」をアピールする行為等は、武道家として「恥ずべき」行為以外の何ものでもありません。 勝敗とは、試合である以上「他人の眼」によるべきもの。 まして試合を通じ勝敗以外のモノを学ばせること。それこそが少年部の試合にとって最も大切なことのはず。 試合後、すぐに少年部の選手を叱責している大人…勝敗にこだわり、その先にその子供に何が残るのでしょうか。 少なくとも、私はその子也に全力で戦ったのなら最大級の賛辞しか与えられません。負けて悔しいのは選手本人なのです。そんなときに叱ってどうしようというのか…。 改めて試合のあり方を考えさせられてしまいます。 そして、せっかくあれだけの大会を主催された皆さんに対しても、そのような声など失礼以外の何ものでもありません。 そんなに言うのならば、自前で試合なり大会なり納得のいくように やられるがいいとも思ってしまいます。 私は、一般社会の常識としても、大会に出場する者には「礼」を尽くす事を言い含めます。さまざまなことを経験する機会の一つとして、特に若い選手たちには、そのために「試合」はあるものだとも心得させて臨んでおります。それなくして試合に勝敗のみで出る事は、私たちの「道」から外れるものだとも考えております。 一つの「社会」を知る良い機会…それも若い人たちにとって大切な事なのです。ならば、その場での対応としての「礼」は、使えて当然であり、それこそ「形」から入るよい機会なのですから…。
by katsumi-okuda
| 2006-09-26 02:44
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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