2005年 11月 12日
知ること、そして信じること
この時期、進路相談等に関して教育機関の先生方と会合を持ちます。そこで話題の一つに上るのが「ニート」についてです。
そこまでではないにせよ、中高校生たちの中でも「何をしたいかわからない」ということを言う生徒たちによく出会います。 私は、体験でしか物を言わないタチなので、こう返答しています。 それが、あっているかどうかは別として、一つの考え方として聞いてもらっています。 別に特別なことではなく、少し先の目標を決めて頑張ること。 当たり前のことなのですが、これすら「迷って」いる人たちが多いように思われます。どんなことでも構わないと思います。勉強、趣味、部活そして異性…その時々、必死になって頑張っている人たちは、その過程で必ず自分なりの解答を見つけ出せるものだと信じています。 何事でも「必死」に頑張る人には、それなりの「力」が、自然と備わるものだと思います。やったことには、どんなことでも「無駄」はないと私は実感しています。 どんなことでも「前向き」で「真剣」に臨む人に必ず進むべく「道」は見えてくるものです。 私にしてもカラテを一生のものにしようと初めから考えていたわけではありません。ただ「強くありたい」「あいつに勝ちたい」「喧嘩で負けたくない」そんな稚拙な動機だけで始めたと思います。 しかし、時を過ぎ、振り返って今に至っています。 懸命に努力した多くの弟子たちは、厳しい稽古の過程から自分なりの進むべく「道」を見つけ、それぞれに今も活躍しています。 真剣に物事を行うこと、それは「知ること」に他なりません。 多くの真実を知ることによって自身の進むべく道も自ずと見えてくるのではないかと考えます。 その時々を真剣に必死に過ごすことで、多くのさまざまなことを知ってもらいたいものだと思います。 その時、自身を疑わず、自分を信じて「今やるべきこと」を真剣にやることを自戒を込め日々の戒めともしています。 このことは、私の目指しているカラテの一義でもあるのです。 今やっているすべての稽古を無駄にすることなく、自身を信じ相手そして、自分を「知る」ことによって次のカラテが見えてくるものと考えております。 …そう言っても人とは「弱い生き物」ですから、やはり、絶えずどんなことでも「一生懸命」やるだけなのだと、いつも思う次第です。
by katsumi-okuda
| 2005-11-12 00:42
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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