武道カラテ稽古日記

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疎ましきもの

例えば、年相応な分別、常識を弁えていない輩との同席。

俗にいう「頭が固い」「頑なに自論を展開する」加えて「浅学薄考」を認識していない。
人は、どのようなことであっても謙虚にして全ての物事事象から学ぶことを常とせねばならない。
特に私たちのように年長であり、少なからず他者に影響を及ぼすであろう立場の場合、尚更。

まだしも、年端のいかぬ子供達なら可愛げもあろうが、十二分に大人な方々は、見ていて辟易とするだけ。
今では、出来る限り、そのような方々との隣席は、それとなく避けるようにはしているが…

加えて、社会人として常識を弁えておらぬ輩。
何をか況んやである。
例えば、小学生男子の 性癖のままカラダだけ大人になったかのような輩には、心底呆れるばかり。

例えそれが、酒席であろうがなかろうが、大人としての慎みを持てない者が、往々にしている。
その場合も、私は遠慮する。
馬鹿騒ぎと楽しい会話談笑は、似て非なるもの。
どんな場であれ「マナー」はある。
下の年代が、軽々しく上の者とタメ口をきくなどは、私たちの世界いや一般社会で通用するはずもない。

どんなに無礼講であっても、越えてはいけない一線というものがある。
それが、常識、礼節である。
何も武道の世界に限ったことでもなかろう。
そんなことも、弁えない知らない、もしくは勘違いしている輩とも同席は、勘弁してもらいたい。

なかには、どうしても避けられない場合もある。
その際、正面から諌め叱責する。
というか、私は顔にでるタチなので自然、近寄らなくなるのが常だが。

また、訳のわからない自論を展開し、収まらないようであるなら、論破することも、吝かではないが…あまり頭の頑なな者と論議は無毛以外の何者でもないので、極力避けたい。


同じ価値観とは、世代性別の差はない。
例え相手が、子供でも、同じ感性と確かな礼節があるのなら私は、それに相応しい対応は必ずするよう努めている。
それが、相手に対しての礼儀だと私は思っている。相手を思い遣るとは、そこから始まらなければ、ならない。
少なくとも、私の幼い弟子達には、このことを正しく伝えなければならない。

だから私は、機会あるごとに「常識」「教養」としての話をすることにしている。
良き人強き人とは、それらを兼ね備えた人。
媚びへつらい、ただ笑って誤魔化すことなく、確かな礼節と教養をもって「らしい」立ち振る舞いを出来る人になってもらいたい。
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by katsumi-okuda | 2017-07-18 20:37