2016年 06月 28日
其々にある「目的」
このブログでも、かなり取り上げていることですが…
近年、少年部に限らず壮年、女子部の方々の勢いが、津々浦々盛り上がりを見えていますね。 そのこと自体、とても喜ばしいことです。 ですが、その試合特に壮年、女子(女性)の試合を見ているとつくづく考えてしまいます。 防具をつけて安全性に考慮した今の試合形式、悪いとは言いませんが、やはり当たり前ですが完璧では、ありません。 何故なら、その試合形式は元来少年部を想定して作られたものであり、様々な矛盾を抱え試行錯誤しながら、それこそ時代とともに成り立ってきたもの。(例えば、防具とは、本来、自分と相手を不用意に傷つけない為のもの「防ぐもの」の意味合いがあるにも、関わらず、それを付けながら相手を倒そうとする矛盾、不条理を抱えている) 試合や大会が、盛んになればなる程、そこに出てくる人達は、多くなる。 ですが、その多くは、やはり一般部のそれと同様に「体が大きい」「力が強い」「何がしかの経験など特徴のある」人達が、大部分を占める。 これらは、有り体に言えば、現状の試合形式に即した「勝てる選手」ということに他ならない。 残念ながら今の試合形式では、どう考えても普通の壮年の方々が、全員参加出来るモノとは言い難い。確かに体格に恵まれなくとも丹念な稽古鍛錬を重ねそこに至る方も、いないでは無いが、やはり、僅かではなかろうか。 私は私達のカラテが、「武道」として成り立つ為にこれまでの試合形式と並行して様々な試みを行う時期にきているものと考えている。 でなければ、せっかく道場に集って頂いた多くの壮年、そして女性、いや全ての道場生に申し訳が立たない。 道場に集う方々は、それこそ様々な目的で来られている。その様々な目的に応えられてこそ、これからの「武道」であり大袈裟に言えば、道場の存在意義でもあると考えている。 しかし、当然私達は「実戦の徒」である。 実戦を想定しない稽古鍛錬は、ありえない。 だからと言って、長くこの世界に入る者と、初めて間も無い同年の方のそれを比べても、意味は無い。要は、それぞれに即した稽古鍛錬の意味合いを努めて研究研鑽し伝えていかなければならないと考えている。 「何故この稽古が、大事なのか」 「どのようにこの形(型)が、使われているのか」 「それがどのように自分の身体にプラスになるのか」 私達、指導に関わるものは、目先のことにこだわることなく、様々な観点で稽古鍛錬そのものを見つめ、どう伝えていくか絶えず悩まなければならない。 理想は、七十になっても普通にこの稽古が、やれることである。 普通にとは、「若い者を相手に負けない組手」「相手をしてやれるカラテ」である。 綺麗事は、言わない。 歳がいけばいくほど、稽古鍛錬は、厳しくなる。 身体も自身を取り巻く環境も… しかし、それでも今の稽古鍛錬は、必ず十年後に結果を出してくれる。 それは老いも若きも、同じ。 私は今の歳になって、強くそう感じている。 だからこそ、武道としてのカラテを模索し、まだまだ試行錯誤の毎日を過ごしている。
by katsumi-okuda
| 2016-06-28 13:24
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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