人気ブログランキング | 話題のタグを見る

武道カラテ稽古日記

ブログトップ

武の中の「和」…型と組手

  私は、型の稽古でよくこのようなことを言います。
「皆でやっている時の型は、組手の第一歩。相手に動きを合わせること。合わせられて初めて相手を制することが、分かります」

 組手、相手がいる闘争の場合、どのようなばあいでも「同調」「タイミング」が重要になってきます。
 相手が、意識している時に遮二無二攻めたところで、あまり効果は期待出来ない道理が、あります。
 相手の「虚」をつき、相手の動きに「合わせる」ことを武術では最良としています。
そのために「先の先」とか「後の先」といった言葉が、用いられ、術技として体系化しています。
 ですが、組手は、言葉遊びではありません。
組手は、先にどうとらえどう動いたかなのです。言葉を意識するあまり、動きが制約されてしまう愚は、さけなければなりません。
 相手に悟られず、動きの中でこちらの「流れ」に持ち込むことこそ本懐としなければなりません。 
 私の組手は、どのような状況でも極力、相手の攻撃を受けぬよう心掛けています。それが、至近距離の打突であっても…。なぜなら、もし相手が武器を持っての攻撃なら一つ「当たり」でもお終いだからであり、たえず、そのような感性を自然に身に付けたいという思いからなのです。ですから、時と場合に応じ、「受けと同時に攻め」もしくは相手が、動かない刹那に「攻め」を行うよう努めています。

 そして、この感覚こそが、古来日本人に伝わり、武道の要とされる「和」の意識と実現だと考えています。
 日本の武道は、本来、対抗、対立の術ではありません。そして、古来より日本は、狭い国土・領地の中で、争い続けることの無益さを知っていたのです。和合を旨として、それまで敵対していた者までも収めようとする意識を持ち、和をもって相手の力までも自らのモノに転用しようという考えを持っていたのです。
 それこそが「和の国」「大きな和=大和」であったとは、想像に難くありません。

 相手と対抗しようとすれば、自ずと「力技」になっていきます。
相手の動きさえも自らの動きの一つとしてとらえ、組手を良くすることこそ最善。
そのためには、綺麗事ではなく、血をはくような厳しい稽古と自らに問いかけ続ける真摯な姿勢、そして「理・智」に沿った正しい動きを「型・基本」に希求すべきなのです。

 ただし、何事にも段階というものはあります。
若い人や修行年数の満たない人は、多くの「力技」「力任せ」も、大いに使うべきです。その結果を踏まえなければ、見えてこないものもあるのですから…。
 まずは、自分なりの「一芸」を磨きましょう。
by katsumi-okuda | 2005-07-08 17:35 | 評論