2005年 07月 08日
武の中の「和」…型と組手
私は、型の稽古でよくこのようなことを言います。
「皆でやっている時の型は、組手の第一歩。相手に動きを合わせること。合わせられて初めて相手を制することが、分かります」 組手、相手がいる闘争の場合、どのようなばあいでも「同調」「タイミング」が重要になってきます。 相手が、意識している時に遮二無二攻めたところで、あまり効果は期待出来ない道理が、あります。 相手の「虚」をつき、相手の動きに「合わせる」ことを武術では最良としています。 そのために「先の先」とか「後の先」といった言葉が、用いられ、術技として体系化しています。 ですが、組手は、言葉遊びではありません。 組手は、先にどうとらえどう動いたかなのです。言葉を意識するあまり、動きが制約されてしまう愚は、さけなければなりません。 相手に悟られず、動きの中でこちらの「流れ」に持ち込むことこそ本懐としなければなりません。 私の組手は、どのような状況でも極力、相手の攻撃を受けぬよう心掛けています。それが、至近距離の打突であっても…。なぜなら、もし相手が武器を持っての攻撃なら一つ「当たり」でもお終いだからであり、たえず、そのような感性を自然に身に付けたいという思いからなのです。ですから、時と場合に応じ、「受けと同時に攻め」もしくは相手が、動かない刹那に「攻め」を行うよう努めています。 そして、この感覚こそが、古来日本人に伝わり、武道の要とされる「和」の意識と実現だと考えています。 日本の武道は、本来、対抗、対立の術ではありません。そして、古来より日本は、狭い国土・領地の中で、争い続けることの無益さを知っていたのです。和合を旨として、それまで敵対していた者までも収めようとする意識を持ち、和をもって相手の力までも自らのモノに転用しようという考えを持っていたのです。 それこそが「和の国」「大きな和=大和」であったとは、想像に難くありません。 相手と対抗しようとすれば、自ずと「力技」になっていきます。 相手の動きさえも自らの動きの一つとしてとらえ、組手を良くすることこそ最善。 そのためには、綺麗事ではなく、血をはくような厳しい稽古と自らに問いかけ続ける真摯な姿勢、そして「理・智」に沿った正しい動きを「型・基本」に希求すべきなのです。 ただし、何事にも段階というものはあります。 若い人や修行年数の満たない人は、多くの「力技」「力任せ」も、大いに使うべきです。その結果を踏まえなければ、見えてこないものもあるのですから…。 まずは、自分なりの「一芸」を磨きましょう。
by katsumi-okuda
| 2005-07-08 17:35
| 評論
|
プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... フォロー中のブログ
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|