2013年 12月 10日
自分の組手
ふとしたキッカケて遥か昔の「そのシーン」を思い出します。
それも、かなり鮮明に…これも歳の成せるものなのでしょうか。 そう思うと少しばかり物悲しくもありますが、ここは一つ某かの足しにお聞き下さればと思います。 二十代前後の頃、実は私「総本部」と大学空手部(伝統派)を行き来しておりました。 何故かって…いや今風に言えば「ただの武道オタク」だったからです。 その大学で空手に限らず柔道そして合気道の「現代の達人」と呼ばれる諸先生方に幾ばくかの薫陶を受けることとなったことが、今の自分を作り上げていると言っても過言ではなかったのですが…。 ともかく、時代だったのでしょう。 さして気軽に出られる試合や大会などあるはずもなく、専ら道場に集る多くの若者の主たる目的、興味は「どうしたら強くなれるか!?いや喧嘩に負けない、強くなれるか!?」 崇高な精神修養など、まだまだ頭の片隅にも無く、そうかといって基本や型の重要性も分からず、ただ闇雲に「組手」(いや見栄えのする「喧嘩のやり方」!?)に勤しんでおりました。 ですが、最初の頃は「鬼のように怖い先輩たち」に毎日々代わる代わる「かわいがられるだけ」でとても強くなれるとは、感じられなかったのが実情。 まして私のように「少しかじった&喧嘩慣れ」した奴は、それはそれは…。 当時「何喰って、何やって先輩たちは、強くなってるんだ!??」と本気で思ってました。 まして「館長(当時はそう読んでました)」は…「怪物」だと思っていました。 だって、その「鬼のように怖い先輩たち」が、直立不動です。 そして、その雰囲気というかオーラは、半端ではなかったです。 これでも、少しは喧嘩の数もこなし人を見る目も多少は、いや本能としてそう思えてしまう異形の姿そして存在感でしたから…。 それでも、たまに見せる太陽のような笑顔と優しい一言に私たち道場生は、心酔していたのも又事実です。 ある日、午前中一部の稽古終わり、正座していると… 突然「オス!!」という先輩たちの声。 私は、窓際に近いところに正座していましたから「その姿」を真正面から伺うことが出来ました。 「館長」が上階から下りてこられたのです。 そのころはまだ時間に余裕があると、稽古終わりに「館長」が下りてこられ一頻り「訓話」をして下さることがありました。 手の握り方、気持の持ち方、そして孝行のお話しなど… あの独特な話し方で私たちに時に熱く語りかけて下さいました。 …今思うと本当に幸せな時だったと思います。 そしてその話しの中に私は、多くのことを学んだのです。 例えば、正しい正拳の握り方とは、突き方とは、そして動き方とは…。 それは、創造するということ。思考するということ。 つまり「自分に合った組手を見つける」ということでした。 確かに今では、あまり競技として使えない使い切れない「技」も多くあります。 ですが、後年あることで「渡米」し大男たちに負けない組手を敢行出来たのも、一つの要因だったと思っております。 私は「人より腕が長い」加えて「腕力」と「握力」がある。 痩せてはいたが「人より高く飛ぶこと早く動くが出来る」 さまざまな体験から「受け」には、自信がある。 受け流さねば「身が持たない」から自然そういう技量が、身に付いている。 それらを合わせ「自分のスタイル」を作り上げていった。 時として先輩や後輩たちから「空手らしくない」と揶揄・嘲笑されたこともある。 それでも私は、それを止めなかった。 そうでなければ、とても体格に勝る者に勝てる気が、しなかった。 その為に多くの武道を嗜み自己流の研究に明け暮れた。 そして、それらは「いざと言うとき」にのみ使用することとなった。 どんな大男でも「指一本」ならさして大きくはない。 では、その指めがけ突きを放ったらどうか…。 相手の蹴ってくる足の指や甲を肘で叩き落としたら。 鍛えた「抜き手」で相手の顔を「切ったら」どうなる!? 中足で又は踵で相手の弱いところ例えば、鼻や眼を蹴れば… そうやって私は、自分の「武器」そして「組手」を作り上げていった。 だが…それらは競技の中では「異端」に過ぎた。 いや、使えないこともないのだが、相手に大きすぎるダメージを与えてしまうことの負のイメージが、あまりにも強過ぎた。 だから、指導者になってからは、余計にそれらは使うことは憚られた。 しかし、それでも形を変え、それらを実行出来る者には教えてはいるが…。 それらを使うには、それなりの「胆力」が必須となる。 本気で相手を屠る気力がなければ、使えるモノではないし、またいらぬ怪我を自身が負うことも少なくないからである。 「正拳は叩くんじゃないよ!!突くんだよ!!!熱い焼けた鉄板を打ち抜くんだょ!!」 今でも、あの「館長」の大きな声が聞こえてくる。 本当の正拳を振るう者は、数少ない。 「君も同じこと考えてたか!!嬉しいなぁ!小さい奴は、そうやって勝つんだよ」とは、千葉で出会い指導を受けた極真の大先輩であり小兵ながらこの人ありと言われた「加藤先生」(その後キックの指導者となり魔裟斗選手らを生み出した名伯楽)から、改めて肘て叩き落とし回り込みの大切さを教わった。 その多くは、自身を守るため。 本当の瀬戸際の時、それらは「全て有効」であった。 そして、それらを今の組手へも活かしたいと思っている。 相手の突きに合わせ「受けながら突く」 思わぬ時に「突き」そして「蹴る」 相手の軸足を蹴りに合わせ「払う」そして「回り込む」 間に合わぬ突きや蹴りは、肘、膝で迎え撃つ。 だが、それらを敢行する為にも、日々の「稽古・鍛錬」は疎かには出来ない。 いやしくも私たちは、実戦の徒である。 単に理に走り机上の水練にならぬことは、何にまして大切である。 齢を越え、強さいや上手さを希求するならば、今ある身の程を熟知し「その場」に挑まねばならない。毎日の稽古そして指導の全てが、今私にとって「要」以外の何ものでもない。 願わくば、志ある人たちならば「自身の組手」を作り上げる創造をして頂きたい。 そうすることこそが「私たちのカラテ」なのだから…。
by katsumi-okuda
| 2013-12-10 02:23
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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