2013年 10月 20日
稽古とは…再考
昨日、ケント指導員が、お陰さまで退院致しました。
で早速、本日午前中クラブ少年部の指導にやってまいりました。 何もすぐに来なくても…とも思いましたが、やはり、身体を動かしたかったのでしょう。 暫くの間、無理は出来ないでしょうが、少しずつ身体を整えていくことでしょう。 やはりというか何と言うか…自分もそうすると思います。 無理してるつもりは、ないのですが、何か稽古していないと落ち着かないのですね。 私も足の甲を骨折した時も、三日目からは普通に指導に立ってましたし、師範代も、この前足を骨折していても、大して休むことなく指導にあたってました。 私たちは、どこかで似ているようです。 …いや…自分のせいではありません…多分(^^) さて、私たちは、どうして「稽古」をし続けているのでしょうか!? また、どうして「試合」に臨むのでしょうか!? 「試合」が、あるから「稽古」しているのでしょうか!? 私は、その「濃密な稽古」がしたいから「試合」という「目標」を人は掲げているのではないかと思っています。 試合という目標が、あるから稽古に励めるんですと人は、良く言います。 しかし、本当は、試合までの緊張・焦燥感を含めそれを臨んで稽古をしているように感じられてなりません。 試合までの緊張感や負ける怖さを感じながら人は、それに抗うように心身を一つでも高見に臨ませようと稽古・鍛錬に時を費やします。 どんなことでもそうなように、人は「経験」によって「かけがえのない智」を得ているのです。 それは何ものにも代えられないものなのです。 幾万の書物を読破しようとも一回の経験にかなうものはありません。 特に試合前の緊張感に苛まれる中で「自身の弱さ」を知り「自身の良さ」を知らず確信する。 それを一回でも、試合そして組手を実感した者は、そのことを知っている。 だからこそ、またその場に臨もうと努める。 「稽古」とは、「古(いにしえ)に稽(学ぶ)」という。 試合という「経験」を元に自身を知らず見つめ直す。 その行いこそが、自らを顧み自らを高めていることに私たちは確信しなければならない。 無論、その前に「やっぱり、このカラテが好きだ!!」というのが大前提ではありますが(^^) そして、その姿を見て人は「何故そこまでして…」と冷ややかに言い放ちます。 当の本人たちにしてみれば、それどころではないのですが、そう言われがちですね。 勝ちにいかなければならない。そして、負けたくはないのですから当然、稽古を頑張るしかないのですが、カラテに関係のない人たちからしてみれば「??・・・」ですね。 でも、やっぱり自分が、好きなものは…人様には分かりにくいかもしれませんね。 出来れば、こんな私たちを見たときは、そっとしておいて…いや応援して下さいね。
by katsumi-okuda
| 2013-10-20 22:57
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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