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武道カラテ稽古日記

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大会外伝…組手のこれから

 もう一週間もたってしまった…。
忙しさに感けているうちにその記憶も定かでなくなるのは、致し方ないが、いろいろなことを留めておくことは、これからのこととして大切だと実感している。

 大会後、私は四国へ出向した。
世界総極真代表の長谷川最高師範の大会に審判として、そして一度道場にお邪魔しておきたかったから
四国鳴門市も、日差しは暖かいものの気温と風邪の冷たさには閉口した。
しかし、会場では…やはりレベルの高い戦いが終始されていた。

「関西方面の特に少年部のレベルは以前から高い」
そう見聞きしてはいたが、いざ実際に試合を裁く立場となると…少々そのレベルの高さに戸惑う。
というか、その「異常」とも言える「強さと上手さ」を観ていると何か釈然としない気持ちにも晒される。こうまでして強く上手くなった子供達が何故、次世代につながっていないのだろう。

子供達のカラテ競技人口は、どこも高い。
しかし、これが中学、高校となると激減し、一般となると1000分の一程度しか残らない…。
無論、学業、部活そして趣味嗜好の広範囲化などその理由は多岐に渉るものと言われている。
しかし、それでも、これだけの子供達、逸材を残していけないという事実は、私たち指導者そしてその世界を預かる者として座して観ているばかりでは…。
一つの大きな命題であることは、事実であり、熟考しなければならないと思っている。

その子供達の戦い方を観ていて気がつくことが、いくつかある。
強くなる為に特化したその戦い方と指導システムの良し悪しは、確かにある。
しかし、それでも尚、実際に勝利している以上、そのことに反論すべきではなく、素直に学ぶべきところは取り入れていかねばならないと将に実感した。

そして、その子供達が「勝ち上がる」ために必要な環境の整備。
つまり「試合・大会という経験」をつませるということ。
子供達は、元々柔軟な素質を誰もが、持っている。
それを開花させる手助けは出来る。
しかし、強くなる上手くなるのは、当たり前だが「本人」である。
指導者の役割等、さしたるものではない。

ただ、指導者そしてご父兄の役割の第一は「精神的な支え」だと思っている。
挫けそうになった時、諦めそうになった時、それを慰め奮い立たせる一助に私たちはいる。
そして、共に「戦う姿勢」を見せることが大事。


加えて私たちは、今の競技だけではなく、次に続く「道」を指し示せなければならない。
一時の競技の強さだけに陥らず、人としてこれから長く続く人生の一つの術として「武道」を活かせるよう説かねばならないと切に思って止まない。

何故、この武道をやっているのか!?
どうして、やらなければならないのか!?
その果てにどんなことが、あるのか!?


私たち先を行く者は、それを示さねばならない。
武道本来のあるべき姿とは、今に活きる武道とは何か。
共に稽古している全ての人たちとともに歩みながら思考し続けなければならない



 たった一度や二度の失敗や敗北に一々挫けていてはならない。
諦めた時、その道を捨ててしまった時、どんなにそれまで栄光があろうとも、それでお終いである。
やめてしまったとき、全てが「負け」になる。
続けられる限り、その者に「負け」は、ありえない。
その全ての失敗は「経験」となり、かけがえのない「智という財産」
になる。

武道とは、一時の勝敗のみを競うばかりではない。
長い月日を積み重ね、人としてあるべき一つの姿を見つけるためのものである。
そのためにも、将来あるこどもたちには、青年期までは少なくとも続けてもらいたい。
そして、壮年に至る方々も、また同様に希求してもらいたいと願う。

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by katsumi-okuda | 2013-03-11 01:21 | 稽古日誌