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武道カラテ稽古日記

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移動;歩くこと

 近年になってやっと二足歩行ロボットが、人に近付いた歩き方をやれるようになったと言われています。
「歩く」を事細かに説明・解析し、ましてそれを人ならぬロボットにさせようというのですから、それは大変な作業であることが伺い知れます。
 私達、対人での競技を行うものにとってもこれは、大変な命題とも言え、それを説明通り対人に行えたなら本当にそれだけで「達人」の領域に一歩踏み込めるとも考えられます。そのため私が、考える「移動=運足」はあくまでも「実戦」「試合」で通用するまして万人が、理解・修得出来るモノでなくてはならないと考えておりますので世に言う「運足」の説明とは若干相違があることを御容赦下さい。

 ※「ナンバ歩き」っていまさら…
言葉が、一人歩きをしていますね。世に言われている「ナンバ歩き」とは、何も武道家やある特定の人達しかやっていなかったものではありません。日本人の民族性・生活習慣そして体格等から自然発生的に生まれた歩き方であり生活の一部だったのです。
 田んぼの畦を肥を天秤棒をかついで歩くお百姓さん、家の梁を歩く大工さんたち、皆さん今でも経験として上体をねじらず、身体に二本の軸(それこそ意識せず)を通して歩いています。経験として「ねじる」ことの不安定さを知っていたのです。身体をねじれば、天秤棒の肥は散乱し大工さんは、梁から転落します…誰だってそんなこと嫌ですから自然にそうなっていったとも言えますね。
 それをアタカも有り難がって声だかに主張する様は、あまり好ましくは感じません。

 確かに古の理から多くを学ぶことは、意義のあることです。ですが、それに固執してしまうと今が、見えなくなってしまうのも事実。私達は、よくよく注意が必要だとも感じます。

 「移  動」とは…
 前にも少し述べたように武術にあって「移動」とは「技」です。
一瞬にして相手との間合いを操作し、自分に有利な体勢・姿勢をもって攻防を行う「要」となるもの、そして自分の攻防に移動から発生する体重移動をも合わせ強力な速さと力(この場合瞬発力)を生む源、それが移動であると一つに解釈しています。
 そしてその「移動」にさいし、いかに「事の起こり」つまり体重移動を相手に感知させないかが、大切であり、そして、それを修得するために「型にはまった」動きの中から自分の身体のあらゆる特性を熟知し、絶えず矯正・強化し、いついかなるときでも実践出来るよう修練しているといえます。

 さまざまな分野の先生方が、口を揃えて仰ります。
「立ち姿も、もちろんですが、動いているその時にその人の実力が垣間見えます」
修練をつんでいない人の移動は、雑です。ドタバタと進む姿に武の陰も見えません。私達、武道を行うものとして本来あるべき姿をいついかなる時でも発露出来るようこの言葉を忘れてはならないと思います。

 安定(始点)から安定(終点)とそしてその中間点

 歩くという動作は、本来大変不安定なものといえます。そのために二足歩行ロボットを製作するにあたって膨大なデータによる研究が長年費やされたのです。
 極論すれば、歩くとは不安定から不安定への連続。そして、それをいかに安定させ身体を操作していくかがカギとなるのです。

 ここに大変偶然ですが、一つの一例を観る機会が、ありました…。
 この前、家族サービスでスキーをやってきました。(新潟へ旧友を訪ね)スキーは、生まれて初めての娘に教えながら、地元の子供達の達者な滑りに感心していました。
娘に教えなくてはいけない手前もあり、その地元の子供達の滑りを観ていると…斜面のあらゆるコブに対して上手に下半身を操り(膝のクッションやバネ)決して力むこと無く軽やかに滑っています。その様子は、それこそ力んで安定させようとしてしまいかえって転んでしまう大人より余程安定しているのです。不安定から安定を瞬時に導きだしまた次の不安定へ、そして全体として安定していく様は、一つの解答とも言えました。
 
 移動するとは、足裏・足首の操作、そして膝の抜き、足腰の力の強弱等、それらさまざまな動作の統合があって生み出される「動的安定」であり、その中間点においては、不安定の連続を意識してつなげていくことにより生まれる「安定」を認識すべきなのです。
 時に「ゆっくり」歩くことによって足裏の体重移動は、意識しやすく大きく歩を進めようとすれば、そしてそれを相手に悟られないようにしようとすれば、表層の筋力のみならず身体の深部の筋力による操作を感じ取れるはず。又、それを実戦の場でも活用出来るよう、繰り返し自身の身体に刷り込むよう「型にはまった」稽古をすべきだと感じています。そうすることのほうが、体験上、使える事実があるのですから。

またそれを感じとれる「感性」を絶えず研ぎすましておくことも大切なのですが、この「感性」についても、後日述べていきたいと考えています。
by katsumi-okuda | 2005-03-10 15:10 | 評論