2005年 03月 04日
礼儀とは…
道場を開いていると、年に何回か「常識としての礼儀」をわきまえていない人達が、まま訪れます…。それも年令問わず…なのが困ったところです。
この前の月曜日、一般部の稽古に「見学させて下さい」という電話がありました。 その時は、いたって普通でしたし、いつものことと思っておりました。その後、その「見学者」年の頃は20代半ばごく普通の社会人風の方がみえました。いつも通り応対をして「では、そこの椅子にかけて御覧になっていて下さい」といいますと「あっ結構です」と言い、その場に立たれて見学を始めました。遠慮されているのかなともう一度、勧めましたが、やはり断られその場で見学を始めました。変わった方なのかなとも思いましたが、それ以上は勧めませんでした。その時点で、「常識」としてこのような場合相手に対して不快な思いを抱かせてしまわないよう相手の応対に応ずるべきなのではないかと思ってしまいましたし、まして「道場」に来られたのならそれなりの礼儀や態度というのは、ごく一般の方々は持ち合わせておられるようにも思うのですが…。 ともかく少々気にはなりましたが、こちらはいつも通りの稽古を始めました。 すると、その「見学者」は私達のやることを少しづつ真似を始められたのです。その時「体験したいのですか」とも聞くべきだったのでしょうが、何かその姿に不作法を感じ声をかけるのを止めました。稽古も終盤、その真似をする姿は変わりません。とらえようによっては、私達への「挑発」とも受け取れます。ただあまりに普通一般の方でしたので私もそのままにしておいたのですが…。 通常、昔の「道場」でこのような態度もしくは礼儀を欠いた初見の者は、よくて道場から閉め出されるか「道場破り」と見なされ「仕合」を余儀無くされるものだったのです。あまりに一般の方でしたので見逃しましたが、どうもこの頃そのような人達が、増えたように思えてなりません。 「礼儀」とは相手を慮り相互の関係を健やかにするため双方不快な感じを与えないためにあるもの、牽いては相手を尊び自らも学ぶ姿勢を示す大切なものと私達は、認識しています。またそれなくして「武道」として、いや「一社会人」として成り立たないものと考え現在に至っております。また、その「範」を示してこその「道場」であり「一武道家」「一教育者」そして人としての勤めと考えております。 幸い今いる道場生達は、それを大切に実行してくれています。またそのような人達でないと本当に「強く」はなれないものとも認識しております。加えて自分が、年長だから段位が上だからと言ってあからさまに「先輩顔」するようでは、これも次元が低すぎます。(先日も別のスポーツクラブで私の先輩だと称する方が何か言っているふうを耳にしました。ちなみに私は、その方を知りませんので実害ない限り無視します) 少なくとも「武道」を修養しようという者にとって「礼儀」は、常識の範疇で構わないからつけておいてもらいたいものです。若く格好もいい加減な人であっても、常識としての礼儀をわきまえている人達も、たくさんいるのですから、いい社会人の自分勝手な言動は、本当にどうかと思います。 ちなみに今度その「見学者」が、再び訪れるようなことがあれば、是非「体験」してもらい身をもって「礼儀」とはどんなものか見てもらいたい、そして考えて頂きたいものだと思っています。 二十代の私なら問答無用で「仕合」していたことでしょう… いまでも私は、心情として「礼儀知らず」は死ぬ程嫌いですから…。
by katsumi-okuda
| 2005-03-04 14:26
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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