武道カラテ稽古日記

ブログトップ | ログイン

組手で大事なこと

 組手で一番大事なこととは、何でしょうか!?
自問にも似たこの答えは、それぞれの人の中にあるかもしれません。

人は、その競技に見合うだけの体力と技術と言い
そして、それをその場で遺憾なく発露出来ることと考える。
至極、真っ当な意見です。

「相手より強く早く上手ければ勝てるんだョ!!」
とは、亡き創始者のお言葉…単純明快過ぎて思考停止してしまいそうです。
でも、一理あると思ってしまいますね。

特に相手のいる競技の場合、相手より勝らなければ勝てない道理があります。
しかし、相手もそうしてくるでしょう。
そして、結果、相手よりも効かせようとして「力」を揮うこととなるのです。

いつも言うように制限された私たちの競技の場合、そこには物理の法則が横たわります。
相手よりも重く相手より速ければ「力の勝負」に勝つ確率は上がります。
ですが、それが相手の方が有利な場合、当然相手に勝てる確立は極端に低くなってしまう。
そして、それをいかに覆すかが鍵となっていくのです。


いつも観ていて思うことは、やはり「意」だと感じています。
勝ち上がる選手の中で大して大きくない者が、勝ち上がっていく場合があります。
無論、大きな相手に負けない体力指数(スタミナ・打たれ強さ)を持っているには違いないのですが、それ以上に秀でていることが、観られるのです。

 それが「意」なのです。
相手に勝ろう負けぬようにという強い「意」よりも、淡々と今までやってきたことを信じ、正確にそして適時に技を施している「平生な意」を感ずることがあります。
どんなことでも、そうであるように「興奮・不安・焦燥」は何も生まないのです。

「平生と熱情」その両面を持つこと、持てることが大事だと思っています。
相手の打突に対して冷静に対処、感応出来る「意」があれば、試合は自分の範疇となります。
つまり、負けない試合が組み立てられるのです。

そして、その結果として勝てる確率が、中盤以降高くなっていくと言えるのです。

相手を中心に回り込むも良し、相手の打突を捌き同時にこちらの打突を当てていき、押し込んでいくのも良し、その方法論は選手個人のカラーです。
大事なのは、それを確実に実行出来る「意」を全面に押し立てていくことだと思っています。

冷静でありさえすれば、相手と違うリズム・間で戦うことも容易です。
何も相手と付き合って戦うばかりが、組手ではない。
相手のリズムを崩してこその組手「小善く大を制す」ということです。

あまりに勝とうという意識が強すぎる行為は、自身を見失う元となります。
それよりも大事なことは、今までやってきたことを絶対に信じている自分がいるということです。
それこそが、盤石な姿勢、構えを生み、適時有効な技を放つ元となるのです。


 私の組手は競技の組手の参考にはならないことをお断りしておきますが、ここに私の組手のあり方の一つを書き留めておきます。
ただし、これは道場生相手では、ありません。
…今まで自分の弟子に思いっきり打突をいれたことは、皆無なので…。


…相手と対峙して今まで気後れしたことは、一度もない。
どんなに大きな相手であっても、相手が何か持っていても…。
どうしたことか、いつも以上に冷静でいられる。
多分、それも自分の性格なのだと思っている。

 理想は…散歩に出かけるように相手に近づき刹那に突くか、蹴る。
それだけである。
つまり、相手に余計な隙を与えないことを第一としている。
相手の打突の基線を読み、相手の二三手先まで読む。
そして、打突の強度からいくらかの修正をしながら、間をそしてリズム(出入りの早さ)を変えて行く。

ゆるゆると長い腕を前後左右に動かし、滑るように動くこともある。
しかし、そればかりに気を取られることはない。
基本は、相手である。
相手の動きに合わせ、こちらの動きは変化させることにしている。

どんなに相手に連打をもらっていても、平生にしている。
例え、どんなに効いたとしても、次の一手を考える。
相手の連打の隙間を縫って、同時に技を入れる。
相手が寸分止まれば、流れはこちらに傾く道理。
それを切っ掛けに動きを変え、流れをこちらに引き寄せていく。
結果、組手で勝たないまでも、負けないようになる。
そして、その積み重ねが、勝てる組手へと形を整えていく。
そう私は、強く信じ、日々の稽古を修めるようにしている。
日々の稽古の積み重ねしか、所詮「試合」には、現すことは適わないことを知っている。

組手や試合には、運もあろう。
しかし、その打突に「ラッキーパンチ」なるものはない。
あるのは、ただ淡々とした日々の積み重ねの上になる「一つの打突」しかない。
故に「組手で大事」とは、将に「日々の稽古・鍛錬」そのものなのだと確信している。

人は人である。
人が享楽に遊ぶ時、私は悶々としているかもしれない。
しかし、人は人。自分は、やはり自分でしかない。
その時の自分を造るために私は、稽古に臨むだけ…。
a0026020_2452586.jpg

by katsumi-okuda | 2012-04-20 02:43 | 稽古日誌