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武道カラテ稽古日記

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演武とは試し割りとは…

 今年はOちゃんが通っている地元の大学での演武が17日にあります。
それほど長い時間ではないですが、少年部や若い道場生たちには、良い機会だと思いますので頑張ってもらいましょう。

さて、ふと思い出したのですが演武の中での試し割りですが、こんな時代だからでしょうかなんなのか…
「こんな試し割りなら自分も出来るぞ」的な言葉を聞く(観る)ことがよくあります。
確かに試し割りそのものは、誰でも出来ます。
そこそこの力があり、少し痛いのさえ我慢できれば…。
ましてスポーツ(陸上・サッカーetc)をやっている人なら尚の事ですね。
ひょっとしたら私たちより量を割る人もいるかもしれませんね。

それでも私たちの試し割りと他の人たちのそれは違うのです。
確かに「割れて」しまえば一緒です。
しかし、では、それに至る「見た目」はどうでしょうか。
試し割りに至る姿勢や割り方、その後の残心の取り方、そこに私たちは「カラテ」そして「武道」を顕わさねばならないのです。
簡単に言うと全体を通して「格好がいいか、どうか」ですね。
ですから、どんなに力自慢の道場生であっても、その形が出来ていない者に「試し割り」はやらせない不文律が慣習としてこの世界にはあるのです。

まして道場を代表しての「演武」ですから尚更、形の出来ている者でなければならない。

無論、演武そのものにも、いろいろな目的や意味合いがありますから、今ではその時々でやらせる道場生も代えることも多くあります。
でも、どちらにしても「演ずる」ことの出来ない、その気持ちの無い者にはやらせません。
それも保ち得てこその修練者なのですから。

 演武とは、武を演ずるのです。
その心が整っていなければ体現出来なければ演武とは、言い切れないと思っています。
演武を通してカラテそして武道の深淵さを観ている人たちに少しでも感じ取って頂けるようでなければならないと思っています。
もっとも、これは私の一つの「拘り」でもありますが…。
でなければ、ただ「どうだ凄いだろう」という威嚇行為でしかなくなってしまいます。
ただ、どうしてもそう言う側面も否定はしきれないと、いつも思ってはいます。
(特に私の痛そうな試し割りを観てカラテをやろうと思った人に出会った事がない…哀しいかな)

そして私の試し割りに対するもう一つの「こだわり」があります。
それは百発百中でなければ人前で披露しないということです。
例えば、「瓶切り」と言う試し割りがあります。
二昔前ならビール瓶も割れやすかったせいもあり10回中7回程度は、瓶の首を飛ばせもしたのですが、ここのところ瓶も工場製品としての品質が上がり、生半可なことでは割れなくなりました。
今では、せいぜい10回中1〜2回、それも粉砕してしまう…これでは演武として人前では見せられません。
 あと「ヤシの実の鉄槌割り」…出来なくもないのですが、割れるまで数回、酷い時は10発程度叩き付けなければなりません。私としては、これも失敗と考え封印しています。
というか、あまりヤシの実が手に入らないということもありますが…。

そして、本当に自分の現時点での技の威力を図る目的の為、つまり人様に見せず一人で行う「試し割り」というものもあります。瓦が手刀で何枚割れるか。ブロックは何枚までか…手に入りやすい材を使用し、その都度行う事があります。因にこれは、いずれ道場の一つの行事にしていきたいと思っているのですが…。

どちらにせよ、ある程度のモノを割るという行為には、それなりの形と威力が備わっていなければならないことは事実ですね。
ですから、どんなに割れやすい材であっても、特に子供達や若い道場生にとって形正しく行ってもらいたいと思っています。それによって初めて形の正しさを身をもって知る良い機会だと思っています。
無論、自身の限界を知る機会として捉える事も、悪くはありませんが、くれぐれも怪我の少なきよう行わなければなりませんね。
by katsumi-okuda | 2011-12-10 00:51 | 稽古日誌