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武道カラテ稽古日記

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武道と格闘技の狭間にて

「極真空手の武道性と格闘技性」
 今の社会にあって武道とは、何でしょうか。
現代にあって武道とは、それを行う人の心の持ちようによってさまざまな様相を呈していると思われ、それぞれのものの考え方は、自由であり、その意味ではいろいろあっても、それこそ個人の自由でありそれぞれに尊重出来るものだとは思います。
 ですが、何かしらの勘違いをして我こそ最強と言うのはどうかと思います。私見ですが、私は、武道をもって強い弱いを論ずるのではなく何をどのように考え日々の生活も含め生きているかではないかと考えております。現代社会にあって古来から伝わる闘争の術は、自らを律する一つの手段として機能し人々に息づいていると思います。武道・武士道としての考えや思いは、私達日本人に脈々と受け継がれ、今だからこそ見直され始めているのではないかとも実感しております。
 極真空手は、創始者大山倍達が、世に受け入れられようと(このルールでなかったら体育館始めいろいろな許可がおりなかった)今のルールを創作したことが、幸いし見事に競技として大輪の華を咲かせたと考えます。その意味では、以前も書きましたが、総裁も武道としてこれで良しとは、決して考えてはおられなかったのが、実際です。
 極真空手を始めとする実戦・フルコンタクト系に関して、その好き嫌いは大きく別れるところだと感じています。実際に相手と打突を繰り返すことにその意味を求める私達にとって同じ空手である伝統派を始めとし、さまざまな武道を学ぶこと、そしてその意味を知ることは、自分達のそれを大きく昇華出来る糧となると確信しています。批難することは簡単です。それよりも一つでも多くのことを吸収しようという姿勢だけは、忘れてはならないものだと考えております。
by katsumi-okuda | 2004-12-06 15:47 | 評論