2011年 10月 04日
構えとは…
いきなり晩秋のような寒さが、朝晩を包んでおります。
各地の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。 …私は、ひさしぶりの風邪をひき、喘息気味になってしまい、まして偏頭痛まで…。 季節の変わり目は、致し方ないと諦め、臥せっておりました。 というか、ここ数日、本気で動けませんでした。 一度体調を崩すと中々立ち直らなくなってきたのが、物悲しくもあります。 さて、しかし、臥せっていても、ふと考えている事は、やはりカラテのこと…。 その時の状態で出来る事をする。 身体が言う事を聞かないのであれば、あとは考えることに専念する。 そうしていると、どういうわけか、ふだん考えていなかった思考が働く。 そして、身体が動くようになれば、それを試す…その繰り返しです。 そんなとき、ふと思い当たったことがありました。 それは「構え」です。 構えとは、「心構え」「気構え」「身構える」など使われる言葉です。 そして、私たちの世界でも、それは大きな意味を持っていました。 …持っていた…と表現したのには訳があります。 今の競技において古来の「構え」は、どうやら形骸化している様相を呈しているように思えてならないからです。折角、構えたその形は、ただの形でしかない。 そこから攻防を発展させる手立てや工夫が、見られないという事です。 相手より数多く打てば良い。 相手を突き出してしまうことに試合の優劣を見いだした今の競技にあって「構え」は開始の形にしか過ぎずなくなり、そこからの攻防は影を潜めているのが実情。 選手や指導者も、それは十分理解はしていると思うが、背に腹はというところなのでしょうか。 しかし、それではあまりにも、カラテの本道を極小化していくことになりかねないと思っています。 もう少し、そこに創意工夫があるべきではないかと思っています。 実際に折角というか、大仰に開始直後「身構え」ていても、その後の攻防に何の足しにもならないのであれば本末転倒。そんな形だけの「構え」など捨ててしまう方がマシでしょう。 また、正しい姿勢と本人の意志が明確であれば、必要以上に形に拘らないのも、一つの構えとも言えますが、これは一つの基本が出来て次の段階と考えるべきだと思って頂きたい。 一、構えの基本…目付け まず正しい姿勢、これは当の本人が最も、動き易いスタンスでいいと考えます。身長、年齢などさまざまな外因により、その立ち姿はいろいろだと考えます。ただ身に合わない構えは、あまりやるべきではありません。 また、その場の状況にあって姿勢とは、絶えず自在でなければならないと考えて下さい。 正しい姿勢とは、まず相手がよく見えるということです。 基本、頭は床から垂直を保ち、相手の全身を観れる(感じる)ようにする。 この場合、相手の眼ではなく口元と両の肩が俯瞰して見えるようにすると良い。 特に日本人の場合、相手の眼を見つめる事に慣れていない風があるのも一つの要因かもしれませんが。 但し、眼力で相手を威圧することも、ないではないが、慣れぬ事はしない方が良いと思います。 (私は、時としてやることもありますが…) 相手の眼を見つめたり、足下を見たりすると相手の動作に一歩遅れを取りかねないので慎む。 半角頭を下げると上段の蹴りは見えずらく、顎があがれば、下からの攻撃が見えない。 また、頭がふらつくようでは威力のある技は出し得ないと知るべきです。 どんな局面でも、平生冷静に対処出来る頭を保持することは、すべてのスポーツでも同じこと。 どんな打突そして状況にあっても、自身の頭は正しくあるべきでしょう。 二 構えは半身が基本 どちらかの足を半歩踏み出して構えている以上、半身が基本となります。 しかし、往々にして近年、選手達は相手の圧力に負けじと正面を向きすぎる嫌いが見て取れます。 悪い事ではないのですが、そこにも少しの工夫(動き)が必要です。 半身であれば、相手の打突に対する「いなし」「流し」が容易になります。 また、攻防一体がやり易くもなります。 ただ、どうしても自身の圧力が弱くなる傾向が見受けられますが、これは稽古によって解消出来るものと解釈していますので研鑽して欲しいところです。 ただいつも半身でいろというのではありません。 構えとは、相手の動きによって自在でなければなりません。 そして、そのための「足捌き」もしくは「フットワーク」は絶えず稽古しておかなければなりません。 付け焼き刃の動きで出来る程、実戦そして競技は甘くありませんので…。 三 両の腕の使い方とその構え いずれ写真をのせて解説しますが… どうしても相手の打突を防ぐ、自身の攻撃を優先しようとするため「構えの両の腕が揃ってしまう」傾向が見られる。これでは、相手の攻撃をいなすことは適わず、両腕が潰されてしまうことが多い。 そこで先の「半身」になる場合なら、どうか。 当然どちらかの腕は前にくるはずです。 その前の腕を攻防の基本とするのが、構えの「元」であることを確認して頂きたい。 そのほうが理にかなった動きがやり易く、また攻防のバランスを制御するにも都合がよいことに気付く。そして、現代の競技において両の手を開く「開手」は、あまり初級者と足技の得意でない者には、勧めない。何故なら、元々「開手」は、相手を引っ掛けたり、掴んだりして相手の動きを封じる手立てであり、翻って足技の為の「序章」に使用していた経緯があるため現代の競技規定では不利に働く傾向が強い。余程、手慣れていない限り指の損傷も含め使う事は好ましくない。 また現代の競技特性から類推しても、構えは「軽く拳を握る」ほうが向いている。 「突いて相手の姿勢を崩す」「相手の足技に突きで応じる」「突きでダメージを蓄積させとどめを刺す」等…突きの重要性は高い。確かに足技の威力は大きい。頭部に当たれば必倒である。 しかし、少しでも稽古を積んだ者に、それを当てる事は難しいのが現実。まして試合となれば、その確立は低くなる。そして、そこでも足技を当てる為に突きの重要性は出てくるものである。 そして、相手の打突を防ぐ時、その両の拳は、それだけで一つの「技」ともなることを知って欲しい。 私は、相手の打突を腕と肘そして拳でいなしたり、弾いたりしている。 そして、その反動で相手に打突を繰り出すことをよくしている。 ただ考えてはしていない。相手の攻撃をこう受けたからこう返してでは遅すぎる。 ふだんから反射の域にまで両の腕の動きを反復し磨く。 しかし、それでも満足に動くモノではないが、稽古するにこしたことはない。 年老いても拳は使えるとは、総裁の言葉。 それを今の齢になって実感もしている。 そして、その自在さを身に付けてこその自身の「動き」そして「足技」でもある。 構えは、力んではならない。 かといってだらりとしてもいけない。 脇を緩く締め、肩の力みをとり、腕の力を抜く。 そして、相手の打突に瞬時に感応し瞬間力を入れる…そして、また元に戻す。 構えは、自在不変でなければならない。 一つに固定せず、相手の動向に応じ変化させ、対応してこその構えでなければならない。 両の腕は身体に繋がり足を起点とすることを忘れてはならない。 ために足腰の鍛錬は、腕以上に行い、要となる腹と背の鍛錬も怠ってはならない。 ふだんから「良き姿勢」をとり、自身の動きにいつも眼を向けること。 そのふだんの有り様こそが、その人の「構え」そのものとなることを忘れずに…。
by katsumi-okuda
| 2011-10-04 02:08
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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