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武道カラテ稽古日記

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やはり…思うところ

 先日の福島での審査会での光景で大変印象に残ったことがありました。
それは、高齢の受審者の方々の基本の「奇麗さ」と「正しさ」です。
無論、年相応の速さ、そして威力ではあるものの、一つの理想とした基本であることは確かでした。
それは、取りも直さず、学ぼうという真摯な姿勢とそれを指導される方々の基本の正しさではないかと思い感じ入りもしました。

 しかし、それが組手になると…残念ながら若い人たちと同じような「コンビネーション」に終止し、少なくとも、あの奇麗な基本を活かしているとは言えないシーンを見てしまう。
…何とも残念であるし、何かを活かして頂きたい。
いや、活かせるよう私たち指導にあたる者が、熟考そして試行しなければならないと改めて感じました。

 このことは審査後の歓談の場でも、お話ししたことなのですが、これから少子高齢化が実際に進む現代に遇って、避けて通れない命題が、武道にも横たわっているのです。
それは「壮年部、特に中高年のみなさんにどう向き合い教えていくか…特に組手」です。

「壮年や女子は、型や護身を中心に、そして健康的にやる…」
という考え方や指導方針そのものは、間違えてはいないと考えます。
それも、無論大事なことだとは認識しています。

 しかしそれでも、壮年の皆さんが、それこそ意を決し道場の門を叩き、自分の孫ほどもある指導員に礼を尽くし指導を仰いでくれるその本意の一つとは何か…。
それは、やはり私たちの道場の門を叩いたということは「強さへの憧れ」が、少なからずあるからではないでしょうか。特に男子は、いくつになっても、その憧憬は冷めぬもの。そう思っています、いや、私自身そうだから…。
どこかで「強くなりたい。そうありたい」と願う気持ちがあるからこそ、私たちの門を叩いてくれたのではないでしょうか。
 では、私たちは、真にそれに応えてあげられているのでしょうか。

「私は、諦めないというより、あきらめが悪い奴」と思っています。
冗談に聞こえますが、本当のことなのです。
腕が駄目なら足、足が駄目なら噛み付いてでも勝て!!と総裁に言われたことを思い出します。
気概とは、そういうものだということの例えです。
しかし、武道の本懐とは案外そうしたところにあるものだと思っています。
石に齧り付いてでも、事を成し遂げる…そんな気概は老いないもの、いや無くしてはならないものと信じています。

 少なくとも、何かしらの「強さ」を求め門を叩かれた皆さんをそれぞれに適した指導をなしてこその「道場」だと思っています。
確かに「人」としての「強さ」は、第一です。
しかし、いくらお題目を唱えても、実際に役に立たない文言は何の役にも立ちません。
まして私たちは、道を説くだけの「賢者」ではありません。
実戦を旨とした「極真カラテ」の指導者であり、武道の徒でもあります。
そうであるなら、私たちは、その声に真摯に向き合い共に「その技」を希求しなければなりません。

 年相応なるカラテとは、若者に勝てぬまでも負けぬ組手とは、そしてその「技」とは、またそれを如何に教え、使えるモノにするか…。
難題な命題である事は、百も承知。
だからこそ、それを希求・探求し実践しなければならないと考えております。

世に一般部や少年部そして女子部を強くしチャンピオンを増産(!?)している道場は、数多あります。
しかし、壮年はどうでしょう…。
どこを向いても同じような指導ややり方に終始し、悪く言えばお茶を濁しているに過ぎない。
真に壮年の方々に適した指導を私は、これから構築したいと思っております。
そして、その一つの形として今年秋に行われる「技術交流会」なのです。

それまでに私の持てる「技」を解析し、普通一般の皆さんが出来る法まで落とし込みたいと思っております。ただ、いつも言っていることですが「技に逃げる」ような、まして「怪しげな」屁理屈を述べるつもりは、毛頭ありません。あくまで道場の組手として、また壮年部の試合場で使用する為の「技法」そして「鍛錬」「意識」を顕わしていきたいと思っています。

それも、一般に言われている「基本・型」に代表される「動き」から紡ぎ出される「技」を造り上げていきます。と言っても、ふだん私と手合わせをしている道場の皆さんは、何となくお分かりの事と思いますが…。
要は、意識を持ってふだん通りに動く心身を造り上げ、日々の稽古で試行錯誤し使えるまでにしていければ、その要諦は明らかになるものと心得て下さい。

折角、稽古している基本や型なのです。
使わなければ勿体ないです。
形にばかり、囚われるのではなく、その真の動きを自身で再度見つめ直して下さい。
型で培われたその繊細な動きの中に実は、多くの応えがあるものだと考え、これからの稽古の糧にして頂きたいと思っています。

…ただ、そうは言っても、稽古をしなければ半解です。
ふと思い立ったときでも大いに結構です。
考えて下さい。
少し意識し、立ち、動いてみて下さい。
それも、立派な稽古そして鍛錬ですから…。
by katsumi-okuda | 2011-06-28 00:07 | 稽古日誌