2011年 05月 20日
出会い…その時に
人には、いろいろな出会いがある。
それが、かけがえの無い人であったり、人生を左右する物事であったり…。 しかし、その出会いは、大して劇的でもなく、何気ない日常の一コマだったりするものである。 ただ、私と出会った友人たちに言わせれば、私との出会いは、ある意味衝撃的だったようだが…。 当の本人は、全くそんなことは、思いもしていないが…。 大学時代からの盟友のHとも、そんな出会いだったようだ。 「おまえ、空手の授業が始まる前、道場にあるサンドバッグ蹴ってたろう。 それも、吊るしてある鎖を」 「…あぁ、確かに、そんなことしてた。だってさぁ、あのサンドバッグ低かったから…。」 「低かったからって、その上の鎖蹴ってる奴なんか、見た事ないぞ。 だから、なんで、そんな奴が、空手の授業を受けてるのか、不思議だったんだ。それで気になって、 声かけたんだよ。」 「そうか…。でも、俺にしても、なんか派手な格好で道場に入ってきたお前のほうが、気になったぞ」 大学の一般教養「体育」の科目の中に「空手」があった。 教授されるのは、協会の最高師範中山正敏先生である。当時、極真に席は置いていたものの、その名は有名であり、せっかくこの大学に入ったのだから「授業」は、受けなければと決めていた。 もっとも、先生にしてみれば、私の出目はご存知であり「何も、君が受けてどうなる授業でもないよ」と諭されもしたが、懇願し受講させてもらうこととなった。 結局、二年続けて先生の補佐役(実験台)として受講させて頂き、多くの貴重な体験もさせてもらうこととなった。 彼との出会いは、そんな「授業」が始まる幕間であった。 どうやら、私は知らず知らず人様に「異形」な景色を見せていたようである。 その後「モデル」の友人Yからも、同じようなことを聞いた。 「クラスにお前が入ってきた時、一目でヤバい奴だと思った。怒るなよ。 大抵、クラスの奴はそう思ってたんだから」 …否定しきれない。 当時、いや今もそうだが、目が悪いため(先天的に瞳孔の開放が疎ららしい)昼間は、サングラスをかけていた…外しても…あまり変わらない(らしい)目つきの悪さ。 今では考えられない程、人嫌いで愛想もなく、何を考えているのか分からない風体と人を寄せ付けぬ所作。 それは、その前年までアメリカでの幾多の経験からなのか、それとも、それ以前からのものなのか… そんな話しを聞くと、こんな私でも、少し落ち込む。 そんなだから、愛想と作法の厳しい一流ホテルに勤め、少しでも「外面」を良くしようとしていた…のかもしれない。いや、当時としては、破格の給金と奇麗な「人たち」が沢山いたから…だ。 ともかく、人との関わりより、一人で「独学」に精を出したかったのが本音。 と言っても勉学ではなく、一重に「武道」古今東西のあらゆる格技を知りたかった。 そのために知人の教授の伝でこの大学に編入したのだ。 空手協会の重鎮のお歴々、そして柔道の木村先生…そして、その後合気道の塩田先生とも…。 貴重な「出会い」をすることとなった時代であった。 しかし、何より生涯の友と言える多くの友人、そして後輩に恵まれたのもこの時代。 夜を明かし、安下宿の一間で将来や自身のこれからを語らい、共に共感し苦悶したよき時代。 …ふと、そんなことを思いながら春の陽光の中に「彼」を思い出した。 あそこで「彼」に遇っていなければ…今、ここに私は、いない。 彼の地で拾われぬ骸になっていたかもしれない…。 …肌寒い春の一日、陽光はそれなりに眩しさを蓄え、私の目を射る。 しかし、そんなに嫌ではない。 指導のない日曜の午前中、する事もなく公園に向かった。 そこは、NY…セントラルパーク…。
by katsumi-okuda
| 2011-05-20 01:48
| 読物・語り部
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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