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武道カラテ稽古日記

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何故「量」、されど「量」

 ふと、独り稽古の後、考えてみた。
「ここ三十年稽古し続けているとして、日に型を10回やったとする…一週間最低五日は稽古している、月に200回程度、それが1年12ヶ月で2400回、そしてそれを30年で72,000回前後…」
 仮の計算だから、あまり当てにはならないかもしれないが、ともかく、考えてみるとやっているものだ
例え、それが、何も考えずにやっていたことが多かったとしても…。

 やった数や時間を声だかに言うのは好きではないが、たまに来し方を振りかえ、これからを考えてみる手立てとしてみるのも、悪い事ではない。
そして、基本の突きや蹴りに至っては、それこそ数えきれない程やっていることに気づく。

 今の自分が、あるのは、本当にこれらなのだと思ってしまう。
月並みだが、やらないよりはマシである…。
本当にそう思うことがある。

今回の子供たちの試合を観ていても、そう実感してしまう。
前日、型の試合で上位に入った子供たちは、おしなべて、次の日の組手でも上位に入っているか、健闘していた。全力で全身を使う事に何の変わりはないことの一つの証であろう。

 組手だけの稽古では、底が浅い。
どんなに乱打戦になろうと、その刹那の心身の使い方や有り様は、稽古の全てが出てくるものであると信じている。全身をくまなく使う型。あらゆる方向での身体操作と意識。
折角、先人が残してくれた型を上手く使わない手はない。

 型の一葉をもって今の組手に全て現す事は、不可能に近い。
しかし、その身体操作は、結びついているものである。
自身に沿う組手を思考すればするほど、その重要性は大きくなる。
特にある年代からは、いやがうえでも、その必要性は増してくるモノである。

…時として、型だけで一日の独り稽古が、終わってしまう。
幾度となく、ある程度納得するまで、一つの動作を繰り返す。
…どれだけ相手に悟られず動けるか、真に威力のある全身の力が、のった技が出せるか…。
今だからこそ、やることが多いと感じている。

来し方、訳も分からず数を量をこなしたからこそ、今、こうして考える事が感じる事が出来る。
願わくば、それが自身の「不変の形」になれば、それにこしたことはないが…。

…クールダウンしながら「一日で何回、型がうてるかなぁ…100回…いやそれ以上。でも、誰も付き合ってくれそうにないなぁ…」と独りで苦笑いしてしまう…。
ちなみに100回、一回2分として200分、時間にして大体3時間半…いけなくもない…。
そして、それを10回通し1000回を…。
いつか、近いうちにやってみよう…。
by katsumi-okuda | 2011-04-23 00:30 | 稽古日誌