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武道カラテ稽古日記

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正月…だからか…

 火曜日、稽古始めとなりました。
しかし、「ものもらい」&「偏頭痛」&etc…。
流石に、まともな稽古にはなるはずも、ありません。
そんなときは、本当に「流す」だけの稽古になってしまいますが、それも仕方ありません。

 お陰さまで、どうにか復調してきましたが、油断は禁物。
今暫く、考えて動くことに致したいと思っております。
年末、年始のせいなのでしょうか、良くも悪くも心身に一斉に顔を出すものと思っております。
幸いなことに、それほど気分的に落ち込んでないのが心身の不思議。
体調が、万全なときの方が、何故か調子が今ひとつのこともありますから、一概に身体的な不調もある意味良しとしたいと思っております。

 さて、この時節、特に試合を控えてない若い選手たちには、集中的に「基本・型」を行うことになっています。自身を客観的に見直す機会であり、修正の時節としています。
身体についた筋骨による「癖」は、知らずに自身の組手を狭めてしまいがちになってしまいます。
ですから、必要の無い力を抜き、全身で基本や型を行う。それによって、自身の本来持っている身体のあり方を再確認することも出来る。そして、出来ることなら、それを随時行うことが大事であると考えています。

 特にスポーツの世界、そしてこの日本の場合「基本」をマスターする、大事にするということがよく言われており、また、それが確実に効果を上げている事例も多々聞かれています。
これは、外国人のように有り余る体格とパワーがあれば、事足りることであっても、身体的に劣る日本人には、適わないことが間々ある。
そのために自身の技術の精度を高めることを第一としているためとも言えます。また、古来から武道の稽古に代表される物の考え方や慣習からくる「量の稽古」「基本の大事さ」が潜在的にあることも否めないとも考えています。

 量に支えられた基本は、知らずにその対象となる競技や技における意識を高め、自身に絶対的な「自信」を抱かせるツテとなります。これだけやったのだからという正しい自信は、競技における絶対的な自信と冷静さを保てる一つの財となる。
人は、須らく「意」によって動かされる。
そして、その「意」を強くする元とは「動く」ことなのです。
行動によって人は、良くも悪くもなる。いい行動を自分に課すことによって正しく強い「意」が、培われる。そして、それによって火急の時(試合)、平生で正しい動きそして最良の動きが、導き出されると言われています。(このことは、脳科学、行動心理学、及び行動療法でも、証明されている。例;幸せそうな表情や背筋を伸ばして快活に日々を過ごしていると本当に改善される事例が多くある。)

 ですから、あながち日本式の「基本」を大事にする練習法というのは、旧くて新しい方法論なのかもしれません。しかし、それでも、古来「基本、型」から達人、名人が、生まれる事実もまたありますから、私たちは、それを一つの「憧憬」として「指標」として頑張っているのかもしれませんね。

何をするにしても、道に迷う時、煩雑になり過ぎた時、今一度「基本に還れ」とは、自身の心の有り様を一度「リセット」しなさいということと同義だとも思っています。
だた繰り返しますが、何事も、それだけではだめです。
基本や型だけやって達人になれる希有な人たちも、いないではないでしょう。
しかし、私たち凡人は、そして、人に正しく伝えていく立場として「すべてをカラテ」にしていくことが肝要と思わなければなりません。

特に身体あっての「このカラテ」です。
口先ばかり能書きばかりでは、何の意味もありません。全てを実際にやってみせる、こなせる心身あればこそです。多くの汗と痛みの中からしか、私たちの臨むモノは見つからないものなのですから。
今年も、もっと試行錯誤し色々な発露を、そして日常に活かせる「何か」を探す為に…稽古あるのみです。
by katsumi-okuda | 2011-01-05 22:56 | 稽古日誌