2010年 08月 12日
心と言葉
世間は「お盆・帰郷」のためか、いつになく街の風情は、心なしかゆったりとして見えます。
いつまでも、忘れてはならない伝統・文化そして風情は、いつまでも守っていきたい、いや守らなければならないものなのでしょうね…やっと、この歳になってそんなことを深く感じ入ったりもしています。 仕事ということもありますが、私の趣味の大半は「読書」です。 専門分野だけに留まらず、ともかく旬のものから異文化のものまで、ともかく読みすすめています。 というより「読み飛ばして」います。 今流行の「速読」ではないですが、そうでないと追いつきませんので自然にそうなってしまいました。 私の専攻は「歴史」でした。 そして、今でも多くの書籍の半数は何らかの歴史書です。 別に何にテーマを絞って熟読しているわけではないのですが、ともかく先人の人たちの思いや考え方から何かを学べたら、少しでも、何かを見つけられたら…。 何せ一人の考え方や思い等とるに足らないものです。 多くを教えてくれるものの一つが、先人の考えや行いだと考えています。 …何故か私たち日本人は「話し合い」を太古の昔から大事にしています。 狭い国土、領土の中で同じ民族が、綿々と上手くやっていく一つの術が「話し合い」だったのでしょう。相手と「和合」する術として「言葉」を大切にしたのだと思います。 ですから、言葉のもつ意味合い、いや「強さ」を何よりも、畏怖していたと考えられています。 「言った通りになる」という「言霊信仰」は、今のこの世の中でも、あるものです。 冠婚葬祭に忌みする言葉や行いを嫌い、そして、ふだんの生活でも、相手に失礼のないよう言葉遣いに注意をする等…考えてみれば、古代からその考え方や感性は変わっていない事に驚きます。 そして、その「言葉の強さ」を私たちは、もっと考えるべきだと思っています。 弱きな言葉を吐けば、その通りにしか身体は動かない。 結果、思い通りにならず、あぁやっばりと、もっとその言葉の輪に嵌まっていく。 どんな結果になろうとも、それを明るい言葉で受け止める。 すると不思議な事に悪い結果は、そんなに自分に害を及ぼさないものだと信じている。 身体は、心の有り様で動くものです。 そして、心は口に出した言葉で左右されるものでもあります。 しかし、たとえ口に出さずとも思ってしまえば結果、そうなっていくことも間々あるもの。 ならば、私たちは、その言葉をどう使うか、何を大事にしていかなければならないか。 少しの間、思考しても良いのではないかと思っています。 何も私は、夢幻を信じろと言っているのではありません。 実利に沿った、正しい努力の成果を正しく自身で評価し、そのことをもって自身に問いかける言葉を信ずることを忘れてはならないと思っています。無用な恐や過小評価、その叉逆に過大な強がりは、何も生まない。ただ自身の心に混沌を招くだけに過ぎない。 するべきは、正しい言葉を自身に投げかける事。 そして、それに絶対の信頼をおくこと。 自分のやってきた事を自分が、信じられなくてどうしようというのか。 たとえ結果は、どうであろうと、まず事を為す時、絶対の「自信」を自らの言葉によって包み、自らに素直に送る事をしようではありませんか。 そして、その後、良くも悪くも結果が、出た時も同じです。 過小も過大も無い。有りの侭の客観的な結果の有り様を言葉で出す事にほかならない。 そして、その絶対的な自信をつけていくためにも、正しい「努力」はあるべきなのです。 私たちにしてみれば、稽古で流した汗と喘いだ数でしか語れないものがあります。 言葉を使う為にも、絶対的な稽古をこなし、身体をそして心を鍛え続ける事です。 何方でもそうです。 健康で安らかな身体があればこそです。 そこに本当の言葉も、そして心も生まれ育まれるものと知りましょう。 まずは、健康な身体なくして心は、鍛えられません。 そして、前向きな言葉も生まれないモノです。 そして、子供たちにも… まずは、いつも元気で大きな声で挨拶をすることです。 そうすることで言葉の意味を少しずつ知る事が、出来るのですから。 元気な挨拶や丁寧な言葉、態度は、みなさんに多くのものを与えてくれるモノです。 逆に誤った言葉遣いや汚い言葉は、君たちのこれからの大きな可能性を消してしまうかもしれないことを知っておいて下さいね。 私たちは、意識するしないに関わらず「言葉」を使っています。 改めて武道の世界に生きている私たち、言葉と心の折り合いをこの身体をもって今少し、思考してもよいのではないかと考えています。 強くなるも弱くなるも「心の持ちよう」「気の持ちよう」 そして、それを現すのが「言葉」なのです。 古代、古より伝わっている「理」です。 使わない手は無い…と思っていますし、出来る限り使ってみましょう。 まずは、元気で明るい言葉遣い、それと聞いてくれる人たちに耳障りの良いよう明瞭にわかり易く…。 つまりは、自分に言い聞かせるつもりで、言葉を発するよう心がけてみましょう。 それだけでも、気分がいいものです。
by katsumi-okuda
| 2010-08-12 22:41
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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