2010年 07月 09日
何となく…どちらに向かうか
この時節の過ごし方と調子が、これからを物語る気がしてなりません。
どんなに仕事で忙殺され体力がなさそうでも、いざ稽古が始まると、そんな素振りは微塵も感じさせずに動けるときもあれば、全くその逆の時もある。 だから、稽古に臨むその刹那までに毎度緊張感が漂う。 「今日は、どんな調子だ…どの拍子で動けるのか」と思い悩むこともある。 ただ、この天候の荒れのせいか、身体の節々がいつも以上に悲鳴を上げているのが少し気にかかる。 数え上げたら、それこそ切りがないので考えないようにしているが、稽古後、痛めた箇所のアイシングに手間取るごとに少し笑ってしまう。 唐突ですが、私は特にこれといった「趣味」がない。 何でも首を突っ込んでみたいタチなのだが、だからといって「これ」というものが見当たらない。 一通り自分で言うのも何なんだが、何事も器用にこなしてしまうほうなので、余計にタチが悪い。 まして、元来「人見知り」で多くの人たちと交わるのを苦手としている。 仕事上、取りあえず礼節と愛想はよくしているつもりではあるが…。 それでも、どうしても、やはり「顔に出る」悪い癖は中々治らない。 喜怒哀楽が、顔に出易い。それだけ純粋だと自分で思うようにしてはいるが(相当、都合良い…) 習い性なのか…あえて興味があるのは「自分自身」(別にナルシスとではありません) 今の自分が、これからどうなっていけるのか。 そのために今、どうすべきなのか。 そのことに、どうやら頭の大部分をとられているような気がする。 今思考し、ここ十数年留意していることがある。 それは「常に心を統御すること」にある。 いついかなるときも、絶えず「平生」に「客観的」に物事を俯瞰し観ること。 常の思考が、「正」と成らなければ、いざ火急(例えば組手、実戦のとき)のさいに働くはずも無い。 ゆえに「気を抜くのは、自宅で寝る時」だけ…いや今ではそれも怪しいが…。 兎も角、一切気を抜く事のないように務めている。 そして、どうやら「それら」が自然に成るようになってきた兆しもあるが、それをどう今以上に活かしていけるか否か。 稽古一つにしても、何をどうしていくか。 同じのようで同じものは、一つとしてない。 頭ばかり、本性ばかりが先に立ち過ぎていては稽古は立ち行かない。 ともかく、無数の稽古、鍛錬が、毎日常に自身の脇に横たわるのみだと思っている。 何かを考え込んだり、新しい事や人と出会う事も大事ではある。 しかし、それ以上に道場生共々、選手共々大汗と吐息の下の稽古・鍛錬が大事である。 それなくして何が語れよう。 語るべきは、自身の疲弊した姿であり、その結果の成合である。 まずは、御託を並べる前に成すべき事を成す。 身の内の辛苦を鑑み、そしてまた、それらを明日の稽古に投影するのみ…。 ふと、稽古後、皆と談笑していて、そんなことを思ってしまう。 きっと明日も、起き泥むほど身体は淀んでいる事だろう。 そして、そこからまた新しい自分が、湧き出てくる事を信じよう… …冷やし過ぎた身体から、今日の少しの痛みは、隠れているようである。 無駄な時間は、そう多くない。 出来る事は、限られもする。 だからこそ、少しの稽古を大事にしたいと願うばかりである。 幾ばくか…齢のせいとしておきましょう。
by katsumi-okuda
| 2010-07-09 00:25
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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