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武道カラテ稽古日記

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何となく…どちらに向かうか

 この時節の過ごし方と調子が、これからを物語る気がしてなりません。
どんなに仕事で忙殺され体力がなさそうでも、いざ稽古が始まると、そんな素振りは微塵も感じさせずに動けるときもあれば、全くその逆の時もある。
だから、稽古に臨むその刹那までに毎度緊張感が漂う。
「今日は、どんな調子だ…どの拍子で動けるのか」と思い悩むこともある。

ただ、この天候の荒れのせいか、身体の節々がいつも以上に悲鳴を上げているのが少し気にかかる。
数え上げたら、それこそ切りがないので考えないようにしているが、稽古後、痛めた箇所のアイシングに手間取るごとに少し笑ってしまう。

唐突ですが、私は特にこれといった「趣味」がない。
何でも首を突っ込んでみたいタチなのだが、だからといって「これ」というものが見当たらない。
一通り自分で言うのも何なんだが、何事も器用にこなしてしまうほうなので、余計にタチが悪い。
まして、元来「人見知り」で多くの人たちと交わるのを苦手としている。
仕事上、取りあえず礼節と愛想はよくしているつもりではあるが…。
それでも、どうしても、やはり「顔に出る」悪い癖は中々治らない。
喜怒哀楽が、顔に出易い。それだけ純粋だと自分で思うようにしてはいるが(相当、都合良い…)

習い性なのか…あえて興味があるのは「自分自身」(別にナルシスとではありません)
今の自分が、これからどうなっていけるのか。
そのために今、どうすべきなのか。
そのことに、どうやら頭の大部分をとられているような気がする。

今思考し、ここ十数年留意していることがある。
それは「常に心を統御すること」にある。
いついかなるときも、絶えず「平生」に「客観的」に物事を俯瞰し観ること。
常の思考が、「正」と成らなければ、いざ火急(例えば組手、実戦のとき)のさいに働くはずも無い。
ゆえに「気を抜くのは、自宅で寝る時」だけ…いや今ではそれも怪しいが…。
兎も角、一切気を抜く事のないように務めている。
そして、どうやら「それら」が自然に成るようになってきた兆しもあるが、それをどう今以上に活かしていけるか否か。

稽古一つにしても、何をどうしていくか。
同じのようで同じものは、一つとしてない。
頭ばかり、本性ばかりが先に立ち過ぎていては稽古は立ち行かない。
ともかく、無数の稽古、鍛錬が、毎日常に自身の脇に横たわるのみだと思っている。
何かを考え込んだり、新しい事や人と出会う事も大事ではある。
しかし、それ以上に道場生共々、選手共々大汗と吐息の下の稽古・鍛錬が大事である。
それなくして何が語れよう。
語るべきは、自身の疲弊した姿であり、その結果の成合である。

まずは、御託を並べる前に成すべき事を成す。
身の内の辛苦を鑑み、そしてまた、それらを明日の稽古に投影するのみ…。
ふと、稽古後、皆と談笑していて、そんなことを思ってしまう。
きっと明日も、起き泥むほど身体は淀んでいる事だろう。
そして、そこからまた新しい自分が、湧き出てくる事を信じよう…
…冷やし過ぎた身体から、今日の少しの痛みは、隠れているようである。

無駄な時間は、そう多くない。
出来る事は、限られもする。
だからこそ、少しの稽古を大事にしたいと願うばかりである。
幾ばくか…齢のせいとしておきましょう。
by katsumi-okuda | 2010-07-09 00:25 | 稽古日誌