学ぶとは…
数多くの学習法なり教材なりが、今では簡単に手に入る時代です。
しかし、出来ないことを出来るようにする方法とは、所詮、ただ一つだけ。
それは「自分で練習する事」につきる。
初めに覚えなければならない物事(重要項目、公式、単語etc)を徹底的して覚えてしまう事。
この方法論は、長く勉強法の王道とされています。例えば、幕末から明治初頭にかけて国内外で活躍した多くの人たちは、この方法で活路を開いていた。数少ない教材をそれこそ頭から全て暗記してしまう。
そして、そこから応用を繰り広げていく。まるで頭という冷蔵庫に入りきらない程の材料を蓄え、必要に応じそれらを調理していく様に似ている。
頭に物事が入っていなければ、次の一手は浮かぶものではない。
それらが、しっかり頭の中で定着しているからこその応用。なのに今の人たちは、そこのところを勘違いしているふうがみえる。確かに楽して物事を展開していきたい気持ちも、わからなくもない。楽しく物事を繰り広げていきたいのも、わかる。
しかしだからと言って、大切な「初めの一歩」を疎かにしてはならない。
それこそ「基本が出来てなくて何の型か組手か!?」ですね。
強ければそれでいいとばかりに手足を振り回していても、所詮行き着くところは浅瀬だけです。
ブロークンな会話で英語が話す事も出来ます。
しかし、そこまでですね。
心の機敏や相手に対しての思いやりを簡単な言葉で表現出来るのは、やはり「美しい形」があればこそです。
私たちの組手も、それに等しいものがありますね。
強い上手い人の組手は、例え無数の打突の最中でさえ「美しい」ものなのです。
どんな物事でも、強く上手いものは「基本に則った美しさ」が伴うものなのです。
ですから私たちは、基本をそして型を重視しているとも言えるのです。
さて「学ぶ」とは、どういうことでしょう。
私見ではありますが、効果を見せている一例があります。
「教える事20%、練習に80%」という捉え方です。
沢山教えられて「出来た気」になっていませんか!?
本当に大事なのは、基本等の定着です。
知らない出来ないことを心身に定着させていくには、それ相当の時間と労力が必要です。
それを知っているはずなのに、人は楽をしようとします。
好きな物事や少し出来る事ならば、それも可能でしょう。
ですが、再度言います。
出来ない嫌いな事を出来るようにするのです。
そのための時間、労力は覚悟しなければいけませんね。
そして「学ぶ」ために大事なことは、自信の「強い気持ち」です。
出来るようになろうとすること。そのために必要な心構えを整える事が肝要です。
出来るようにやれるようになろうとする人とそう出ない人とでは、その効果に大きな開きがあります。
それを第一に忘れないようにしなければならないでしょう。
次に例外なく「出来るようになる人たち」は、素直です。
自分の確かな意見を持ちながらも、出来るようになろうとするとき、人の教えを正しく請い、そして正しく実行出来る素直さ真摯さを持っています。
(中には、天の邪鬼な性格や変わった人もいますね。でも、そんな人たちでもやはり、出来るようになる人たちは、素直・愚直なのです)
いくつになっても、そんな素直で愚直な姿勢を私たち大人も忘れてはならないと思っています。
「子供は、親の写し鏡」なのです。親や周りの大人が率先して懸命愚直な仕事、そして礼節を積むからこそ子供は、それを学ぶとも言えましょう。
出来る事なら、子供たちには辛い厳しいことかもしれませんが、大切な事は少なくとも三〜五年は言い続けたいと思っています。今日言って出来る大人はいないように、まして年端もいかない子供たちです。出来るまで心身に定着できるまで辛抱強く、そして丁寧に教え伝えていきたいと思っています。
# by katsumi-okuda | 2012-05-25 16:44 | 教育 | Trackback | Comments(0)
先週土曜日、埼玉県での試合を無事終えた。今年で第二回となる「彩の国極真空手交流大会」まだ若手の橋本先生のもと確かな手応えで今年も、各コートで熱戦が繰り広げられました。いつ観ても、そしてどこへ行っても子供達のレベルと意識の高さには、感心させられてしまいます。確かに、試合にはそれぞれの思いが絡み合い、まだまだいくつもの障壁を越えなければならないとも感じましたが、滞りなく大会を成功に導かれた橋本先生始め大会関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。そして、何かとお気遣い有り難うございました。
先日、思わず都内を散策した。











