今日、千葉県大会があった。
いつもなら私も赴く予定であったが、どうしても抜けられない仕事の為、選手他関係者に今回は一任した。そして、その結果は、昼過ぎと試合終了後、N指導員から聞いた。
子供達や初めて大会に出場した壮年部の人たちは、よく健闘したと感じます。
千葉の大会、特に子供達の試合は、ある意味レベルは高く、勝ち上がるのは容易ではない。
その中で痛い辛い思いをしてよく皆戦ったと思います。
そして、その健闘を大いに讃えたいと思っています。
その貴い経験こそが、必ずさまざまなことに繋がることを忘れないでもらいたい。
そして、遠方から出場された選手とご父兄の皆様、本当にご苦労様でした。
またいずれ近いうちに一緒に稽古する時にでも、いろいろとお話ししたいと思っています。
しかし、一般部の試合結果には、いつになく憤りが湧いて来た。
何故なら、試合に出て健闘すればいいという立場ではない。
今回、出場した本部の選手たちは、特に結果が、残せなければならない立場である。
十代の初心者ではない。後輩達も、その戦い方、勝つも負けるもその全てを見ているのである。
なのに芸の無い負け方を何度もしているようでは、先は望めない。
厳しい物言いになるが、大会に出る以上、道場そして団体の看板を背負っている以上今一度熟考してもらいたい。今のままでは「ただの地方の一流」でしかない。「中央の一流」になるには、それ以上に思考しなければならない。
試合において体力・技量等に他の選手たちと彼らに大きな隔たりが、あるとは思えない。
違うものがあるとすれば、それは「意識」そのものでしかない。
自身に弱点があるのであれば、それを克服して臨むのが試合である。
同じ過ちを何度もしていることに本人たちも猛省していることであろう。
折角、高い技量があると公にも認められている選手たちである。
だから余計に声だかに叱責しなければならない。
まだまだ勝てる要素も、他を上回る能力もあると私は確信している。
だからこそである。
捲土重来をそれぞれの胸に抱いてもらいたい。
体格、技量がほぼ同等の者達が、競い合う。
その中でいかにして勝敗は、決するのであろう。
そこにあるのは、強い思い。
そして、相手との違う「感性」を表現出来ることにつきる。
いつも通りとは、そのことも指すであろう。
いつものように100%出せるのであれば、試合は自身のモノになる。
それを出せるか否か、それは一重に「ふだん」にかかっていることを忘れてはならない。
無論、私たち指導者も、それは同じである。
負けは、指導者の責任でもある。
今回の結果を踏まえ、次を見定め腰を据えた取り組みをしていかなければならない。
例え、負けたとしても価値ある負けというモノは、あるものと信じている。
だからこそ、今回のことを大きな糧としなければ、負けた意味がない。
いつもなら私も赴く予定であったが、どうしても抜けられない仕事の為、選手他関係者に今回は一任した。そして、その結果は、昼過ぎと試合終了後、N指導員から聞いた。
子供達や初めて大会に出場した壮年部の人たちは、よく健闘したと感じます。
千葉の大会、特に子供達の試合は、ある意味レベルは高く、勝ち上がるのは容易ではない。
その中で痛い辛い思いをしてよく皆戦ったと思います。
そして、その健闘を大いに讃えたいと思っています。
その貴い経験こそが、必ずさまざまなことに繋がることを忘れないでもらいたい。
そして、遠方から出場された選手とご父兄の皆様、本当にご苦労様でした。
またいずれ近いうちに一緒に稽古する時にでも、いろいろとお話ししたいと思っています。
しかし、一般部の試合結果には、いつになく憤りが湧いて来た。
何故なら、試合に出て健闘すればいいという立場ではない。
今回、出場した本部の選手たちは、特に結果が、残せなければならない立場である。
十代の初心者ではない。後輩達も、その戦い方、勝つも負けるもその全てを見ているのである。
なのに芸の無い負け方を何度もしているようでは、先は望めない。
厳しい物言いになるが、大会に出る以上、道場そして団体の看板を背負っている以上今一度熟考してもらいたい。今のままでは「ただの地方の一流」でしかない。「中央の一流」になるには、それ以上に思考しなければならない。
試合において体力・技量等に他の選手たちと彼らに大きな隔たりが、あるとは思えない。
違うものがあるとすれば、それは「意識」そのものでしかない。
自身に弱点があるのであれば、それを克服して臨むのが試合である。
同じ過ちを何度もしていることに本人たちも猛省していることであろう。
折角、高い技量があると公にも認められている選手たちである。
だから余計に声だかに叱責しなければならない。
まだまだ勝てる要素も、他を上回る能力もあると私は確信している。
だからこそである。
捲土重来をそれぞれの胸に抱いてもらいたい。
体格、技量がほぼ同等の者達が、競い合う。
その中でいかにして勝敗は、決するのであろう。
そこにあるのは、強い思い。
そして、相手との違う「感性」を表現出来ることにつきる。
いつも通りとは、そのことも指すであろう。
いつものように100%出せるのであれば、試合は自身のモノになる。
それを出せるか否か、それは一重に「ふだん」にかかっていることを忘れてはならない。
無論、私たち指導者も、それは同じである。
負けは、指導者の責任でもある。
今回の結果を踏まえ、次を見定め腰を据えた取り組みをしていかなければならない。
例え、負けたとしても価値ある負けというモノは、あるものと信じている。
だからこそ、今回のことを大きな糧としなければ、負けた意味がない。
# by katsumi-okuda | 2012-01-29 22:05 | Trackback | Comments(2)
毎年恒例になりました正月の「神宮巡り」。昼前に「鹿島神宮」に到着し、いつものように参拝。三が日ということもあり、人手はいつも通り…ですが、やはり昨年の痛手は、ここにもあったようです。その痕を見やりながら、いつも以上に感謝の心と自身が、成さなければならない責務をヒシヒシと実感しました。











